2016年08月23日
忘れてはならない事 その1
昨日、恒例の防災訓練が行われました。
この防災訓練は今から12年前、湯本の大火から50年を節目に、絶対に忘れてならない事として語り継ぎ、絶対に起こしていけない事として備える為にスタートしました。
しかし年数が経つにつれ、実際にあの災害を経験した人たちも少なくなり、語り継ぐ思いも薄れてしまっています。
もちろん訓練する事は一番大切な事ですが、忘れない事、語り継ぐ事もとっても大切な事です。
防災の見地だけではなく、の観光振興には地域の歴史と事実を踏まえた中での取り組みが必須です。
以下の文章は松之山町史より抜粋したものです。
昭和29年湯本温泉の大火(1954年8月19日)
8月19日夜、折からのフェーン現象の炎熱の日であったが、温泉街で出火、見る見るうちに延焼してしまった。 全焼9軒、半焼2軒、破壊1軒で、その損害額 1億3000万円。50年前の1億3000万円であるからして、現在の貨幣価値に換算すればその損失額は考えただけでも途方にくれる金額だ。
約700名も滞在されていた湯治客全員が無事だったというのがせめてもの救いである。
復興には諸先輩方の血のにじむような努力があり、そのうえで現在の松之山温泉、そして湯本が温泉客で賑わいを見せているのである。
昭和29年8月19日は決して忘れてはならない悪夢であり、またあらゆる災害に対しての教訓として位置付けていかねばいけないのです。
(松之山町史より一部抜粋)
そして以下の画像は、私の祖父「柳 政司」が記録として残したものです。
今回の2枚は大火前(昭和29年8月19日以前)の湯本です。

十一屋さんとちとせの前が盆踊り会場だったようです。

忌まわしい大火災後の写真は次回のブログで掲載します。
この防災訓練は今から12年前、湯本の大火から50年を節目に、絶対に忘れてならない事として語り継ぎ、絶対に起こしていけない事として備える為にスタートしました。
しかし年数が経つにつれ、実際にあの災害を経験した人たちも少なくなり、語り継ぐ思いも薄れてしまっています。
もちろん訓練する事は一番大切な事ですが、忘れない事、語り継ぐ事もとっても大切な事です。
防災の見地だけではなく、の観光振興には地域の歴史と事実を踏まえた中での取り組みが必須です。
以下の文章は松之山町史より抜粋したものです。
昭和29年湯本温泉の大火(1954年8月19日)
8月19日夜、折からのフェーン現象の炎熱の日であったが、温泉街で出火、見る見るうちに延焼してしまった。 全焼9軒、半焼2軒、破壊1軒で、その損害額 1億3000万円。50年前の1億3000万円であるからして、現在の貨幣価値に換算すればその損失額は考えただけでも途方にくれる金額だ。
約700名も滞在されていた湯治客全員が無事だったというのがせめてもの救いである。
復興には諸先輩方の血のにじむような努力があり、そのうえで現在の松之山温泉、そして湯本が温泉客で賑わいを見せているのである。
昭和29年8月19日は決して忘れてはならない悪夢であり、またあらゆる災害に対しての教訓として位置付けていかねばいけないのです。
(松之山町史より一部抜粋)
そして以下の画像は、私の祖父「柳 政司」が記録として残したものです。
今回の2枚は大火前(昭和29年8月19日以前)の湯本です。
十一屋さんとちとせの前が盆踊り会場だったようです。
忌まわしい大火災後の写真は次回のブログで掲載します。
Posted by ひなの宿ちとせ社長 at 15:33│Comments(0)
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