2016年08月27日
忘れない!その3
「忘れない!その2」でお伝えしたあの忌まわしい湯本の大火の続き「復興編」です。
8月19日夜、折からのフェーン現象の炎熱の日であったが、温泉街上部で出火、見る見るうちに延焼してしまった。 全焼9軒、半焼2軒、破壊1軒で、その損害額 1億3000万円。50年前の1億3000万円であるからして、現在の貨幣価値に換算すればその損失額は考えただけでも途方にくれる金額だ。
約700名も滞在されていた湯治客全員が無事だったというのがせめてもの救いである。
(松之山町史より一部抜粋)
私の祖父と祖母からの話によりますと、この復興こそが大変な事だったと!!!
銀行も簡単には融資をしてくれず、どこの旅館もそれぞれに血のにじむような思いで建物を再建したそうです。


当時のちとせの建物の骨組みはどこかの体育館の骨組みを持ってきたとの事でした。
そして建物ができてもお客様が来てくれるようになるまでがまた大変だったと。
あらゆる可能性、やれることは何でもやったとの事でした。

看板に「復興」という文字が印象的です。

マルケ―のバスに乗り込んで県内各所でキャラバン。それも「松之山温泉小唄」か「甚句」の踊りってのは凄いです。

皆さん、知っている懐かしい顔があるでしょう。
8月19日夜、折からのフェーン現象の炎熱の日であったが、温泉街上部で出火、見る見るうちに延焼してしまった。 全焼9軒、半焼2軒、破壊1軒で、その損害額 1億3000万円。50年前の1億3000万円であるからして、現在の貨幣価値に換算すればその損失額は考えただけでも途方にくれる金額だ。
約700名も滞在されていた湯治客全員が無事だったというのがせめてもの救いである。
(松之山町史より一部抜粋)
私の祖父と祖母からの話によりますと、この復興こそが大変な事だったと!!!
銀行も簡単には融資をしてくれず、どこの旅館もそれぞれに血のにじむような思いで建物を再建したそうです。
当時のちとせの建物の骨組みはどこかの体育館の骨組みを持ってきたとの事でした。
そして建物ができてもお客様が来てくれるようになるまでがまた大変だったと。
あらゆる可能性、やれることは何でもやったとの事でした。
看板に「復興」という文字が印象的です。
マルケ―のバスに乗り込んで県内各所でキャラバン。それも「松之山温泉小唄」か「甚句」の踊りってのは凄いです。
皆さん、知っている懐かしい顔があるでしょう。
タグ :松之山温泉の復興